わたしとだんなのプロフィール

農園のこと


はじめまして

こんな二人で農園をやっています

 
 

ちょっと変なブログタイトルは、「耕雲種月」という言葉から取りました。興味のある方はぜひググって見て下さい。このブログは雲と月、二人で記していきますので、最初にそれぞれの自己紹介をいたします。長文をお許し下さい。
 月は福岡県生まれ、そろそろ加齢臭を指摘されるかも?とおびえる年代のオヤジです。大学を卒業後、某ホームセンターに入社し、現場で5年間働きました。工具道具類の売り場を担当していましたので、当時学んだ知識が、今でもホームセンターに行くとフツフツと湧き出し、うろうろ歩き回りが止まらなくなります。
6年目を前にして若気の至りか、某海外協力ボランティアへ入り、アジアの片隅で3年を過ごすことになりました。他所の国に行った仲間は、英語やスペイン語を習得していわゆる実益を得た人も多いのですが、某国の言語はかなりの特殊言語で、実益らしいものはゼロと言ってもいいと思います。帰国後、ある刑務所から収監者の手紙の検閲(翻訳)を頼まれて、やらせてはいただきましたが無給でした・・・(ちなみに悪巧みなど何も書かれてなく、家族を思う言葉ばかりでした)。でも、海外で暮らしたことで得た価値観は他では決して得ることのできないものだと思います。その点で、自分のこれまでの人生で最大のターニングポイントだったことは間違い無いですね。もちろん、派遣前の訓練期間に雲と出会うことができたことは、もう一つの最大のターニングポイントです。
 
帰国後しばらくは進路を模索しましたが、結局は某カジュアル衣料品チェーンで10年働くことになりました。働きがいは十分に感じていましたが、所詮は消費し続ける社会でないと業績が伸びていかないことと、強烈な成長志向についていけず、退職。一児を抱えてどうするか・・・。
その頃、雲は子どもに与える食べ物についてよく勉強していて、あなたも有機農業やったらなんて言ってました。農業で食べていくなんて絶対無理!と思っていましたが、有機農業に関わる仕事なら子どもにも胸を張れると思い、某有機農業法人に入ったのが運の尽きでしょうか。有機農家さんの苦しくも楽しげな顔と、自宅で囁き続ける雲の甘言に騙され・・・いや力づけられ、湧水町で有機農業をはじめるに至っています。
 
 
雲です。実家は大阪ですが(両親、祖父母も大阪人)、子どものころから親の転勤であちこち引越、成人してからも自分の意思であちこち移動、結婚してからはパートナーの転勤、と今まで21回も引っ越ししています。この土地が永住の地になるのでしょうか?
高校生の頃、「留学生100万人計画」なども打ち出されていた背景もあり、日本語教師になりたい!と思い、大学で日本語教育を学び、卒業後は、某青年海外協力ボランティアへ参加。タイ国、東北地方にあるコンケン大学に派遣されました。日本ほど物質的に豊かではないけれども、家族を大事にして、お年寄りを敬い、子どもを宝物のように地域みんなで育てている姿を目の当たりにして、昔の日本はこんなんだったんだろうなあと考えるようになりました。そして何事も「マイペンライ!(大丈夫、気にしない)サバイサバイ!(心地よい)」と家族や地域の人とゆるやかにクラス生活に憧れました。
 
しかし、タイから帰国後、日本の食品加工会社に就職することになりました。インスタントみそ汁やヌードルの具を作るタイの工場の管理を任され、工業的な食品製造の実態を目の当たりにしました。世界中から集めた原料を使い液体窒素で凍結したり、乾燥した野菜を作って日本に送る。でも日本国内で一から作るより断然安い。「食」って何だろうと強い関心を持つきっかけになりました。加工食品の実情を知り、安全性や、日本の食糧事情について深く考えるようになり、農に興味を持つようになりました。
 
 98年に、「速い小売」というスローライフとは真逆な会社に就職した月と結婚しますが、どこの田舎に住んでも多少の現金は稼げるようにと介護の資格をとり、経験を積みました。それが介護旅行の添乗員という仕事につながり、日本国内や海外を飛び回ることになりました。お客様は介護を必要とする方だったので、旅行の途中に通院の予定が組まれていて、自由時間の多い滞在型の旅程でした。ですから朝市に行ったり、地元のイベントに遊びに行ったり、その土地の人と交流する機会の多い旅行でした。滞在型の旅行(グリーンツーリズム)に関心を持つきっかけになりました。
 
 05年に長女を出産したのを機に仕事を辞めましたが、自分の食べたものから母乳が出来ていると思うと食への関心が一歩進み、安心なものを口にするには「やはり農」と確信を持ちました。友人と近所の農園を借りて週末小作をしながら、夫を巻き込んで「速い小売」店で朝6時から夜中12時まで働く月を横目に、仲間と一緒に田んぼや畑を借りて週末小作人生活を送りつつ、食べ物のことや農業のことや自然エネルギーのことなど学んでいき、ひそかにゆるやかに「田舎で自給自足」プロジェクトを実行していきました(笑)。
 
そしてとうとう10年目にして月も脱サラを決意!11年の4月から湧水町にて新規就農しました。サラリーマン時代に比べると収入はすごく少ないですが、自分たちで作る米や野菜、野草など自然からいただく恵みで食べるものには困りません。自然の恵みを給わり足るを知る「自給知足」を目指したライフスタイルを知ってもらいたく、農家民宿や自家製農産物加工品の販売などもしています。